仏教のお話に『芥子(けし)の実とゴータミー』というお話がございます。
お釈迦さまの時代、コ−サラ国の首都である舎衛城の町にゴータミーという一人の女性がおりました。
この女性は結婚してなかなか子宝に恵まれなかったのですが、何年か経ち、ようやく待望の男の子を授かったのです。彼女は本当に喜び、母としての深い愛情で一瞬たりとも目を離すことなく大事に大事に育てました。
ところが、その男の子は生後4,5ヵ月で突然亡くなってしまうのです。ゴータミーは最愛の我が子が死んでしまったことを受け入れることなど到底できません。
小さな小さな亡骸を抱えて、気が動転して
「どなたかこの子を生きかえらせてください。どなたかこの子を生きかえる薬を作ってください」
といって狂ったかのように町じゅうを叫びまわるようになりました。
そんな彼女の姿をみて、多くの方々は涙をされるのですが、誰もどうすることもできません。
そんな時、お釈迦さまが祇園精舎から舎衛城の町へ、托鉢に来られたのです。
ゴータミーは、お釈迦さまの姿を見るなり、お釈迦さまの元へ向かい、
「どうか、この子を生きかえらせてください。どうか、どうか、お願いします」
と顔をくしゃくしゃにして、涙ながらに頼まれたのです。
お釈迦さまは優しく
「ゴータミーよ、お前の子供を生き返らせてあげよう」
と言われました。
彼女の瞳が輝きはじめます。
「では、生き返らせる薬の原料となる芥子(けし)の実をもらってきなさい。だたし、まだ一度も死人を出したことのない家からですよ」
と言われました。
ゴータミーは喜んで早速、芥子の実をもらいに一軒の家を訪ねます。
ゴータミー「すみません、芥子の実をいただけませんか」
家の方「芥子の実ですか、お安いご用ですよ」
ゴータミー「少しお聞きしますが、お宅さまは今までに死者を出したことがありますか?」
家の方「昨年、おじいちゃんがなくなってねぇ」
ゴータミー「すみません。お宅の芥子の実では駄目です」
といって他の家を訪ねるのです。
ところが、どの家どの家を訪ねても死者を出していない家などないのです。
中には、自分と同じように幼子を亡くされている母親もおられます。
一軒一軒、訪ね周って行くうちに、彼女は少しずつ正気を取り戻してまいります。
「最初は私一人がこんな悲しい思いをしているものだと思ったんだけど違うんだ。みんな、悲しみに耐えて生きているんだ。」
そのことがわかって彼女はお釈迦さんのもとへ戻っていきます。
お釈迦さまは
「芥子の実はもらってきましたか?」
と語りかけます。
するとゴータミーは
「いえ私には、もう芥子の実は必要ありません。この子をこのまま安らかに眠らしてあげようと思います。」
といわれた、という仏教のお話がございます。
当山では毎日、水子供養をさせていただいておりますが、お供養された後、毎月のようにお参りに来られる方も大勢いらっしゃいます。
そして、ありがたいことに、ほとんどの方が、笑顔で挨拶をしてくださいます。
初めて来られた時は、きっと悲しみの心に包まれていたと思います。それが、この悲しみを乗り越え、みなさん笑顔で接してくださるのです。
水子さまのお参りされている間は、やはり涙される方も大勢おられますが、しかしその涙は、悲しみの涙ばかりではなく、あの子の温もりや優しさを感じた涙でもございましょう。
悲しみを乗り越えて、笑顔で接してくださったり、温もりの涙を流されるようになったり、そのような心の移りかわりは、本当に美しいものでございます。
昨年、私は身内を亡くしましたが、皆様方のそのお姿は、私に大きな勇気をいただきました。
私の悲しみの心を救ってくれた、皆様方、そして水子さまに、これからも感謝の気持ちを忘れないようにしたいと思います。