投稿時間:2012/11/14(水)00:40
投稿者名:管理人
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タイトル: 武の島目指して漕ぐが楽しき

剣術系統にしろ柔術系統にしろ、空手や中国拳法にしろ、色々あり過ぎて悩
んでしまうお気持ちは良く分ります。
増して修行が進むにつれて、技も思考も変わっていく面を考えますと、もう
何をどうしてよいやら!
こうなったら全ての武術を皆伝まで極める以外に、正確な判断材料は揃わな
いでしょう。

しかし私は空手を首里手と那覇手の両方の見地から鑑みて、その特徴の違い
が色々な場合に参考になることに気が付きました。
同じ空手でありながら、まるで違う戦法と設計思想を持つ両者ですが、ある
意味で究極の形に洗練された二派であると思います。
これによって空手だけでなく、色々な武術も大まかながら整理整頓され、迷
いの大部分が無くなりました。
逆にいうと、これによって多種の武術の特徴を、ある程度つかみ理解できる
ようになりました。

その中で、入り身術(この場合は身体内方向転換により、対手の死角へ真直
ぐに侵入する技法の意味です)による無の場の創造方法(伝統技法の「無窮
無辺」)は最高度に素晴らしいものだと思います。
これは大袈裟にいえば、宇宙と一体になる戦闘技法でもあります。
元来、入り身は那覇手では戦法上不要の為に無い技法ですが、開祖がこの技
法を取り込んで撃砕の型を造り、唐手界で初めて流派名称を名乗った経緯に
は大きく納得させられる思いがしております。
非常に長期間の修行が必要となるため、即戦力としての軍事格闘技や護身術
には無い技法ですし、日々合戦に明け暮れた日本の(古古流:仮称)にも見
受けられません。

日々の護身として実戦の中から生まれた南派少林拳をベースとした那覇手も
非常に魅力的です。
ですが、習得までに例え265年間(江戸期に集大成されたという意味で)かか
っても良いから最強無比の技を求めた(新古流:仮称)の技を、首里手を通
じて取り込んで成立した剛柔流に強い魅力と誇りを感じます。
実際に撃砕に含まれるこの技法を修練していると、サイファやスーパーリン
ペー等の開手型が不要に思えてくる程です。
しかし一方で、世間のニーズや在り方を見渡してみますと、返って両者の必
要性を感じるようになりました。
剛柔流こそは、首里手と那覇手のみならず、(古古流:仮称)と(新古流:
仮称)、中国南派少林拳と日本武術、更には「剣道や柔道」と「居合道や合
気道」との間の架け橋に成り得る存在だと思います。

まあ、実際問題は両方に跨るためすべき稽古の種類と量が多すぎて、手が回
り切らないのが困りモノですが。
開祖は「基本型として三戦とナイファンチを稽古すべし」と言い残しており
ますが、浅才な私としては、あまりと言えばあんまりな気もします。
しかし私としては、この宇宙との合一を果たした技法の習得が、武術の醍醐
味のように見受けられる次第です。
ちなみに、入り身術につきまして尚誠館では四段から稽古を開始しておりま
す。

是非今度、道場巡りのお話をお聞かせ下さいませ。
ご来場を楽しみにお待ちしております。