剣術系統にしろ柔術系統にしろ、空手や中国拳法にしろ、色々あり過ぎて悩 んでしまうお気持ちは良く分ります。 増して修行が進むにつれて、技も思考も変わっていく面を考えますと、もう 何をどうしてよいやら! こうなったら全ての武術を皆伝まで極める以外に、正確な判断材料は揃わな いでしょう。
しかし私は空手を首里手と那覇手の両方の見地から鑑みて、その特徴の違い が色々な場合に参考になることに気が付きました。 同じ空手でありながら、まるで違う戦法と設計思想を持つ両者ですが、ある 意味で究極の形に洗練された二派であると思います。 これによって空手だけでなく、色々な武術も大まかながら整理整頓され、迷 いの大部分が無くなりました。 逆にいうと、これによって多種の武術の特徴を、ある程度つかみ理解できる ようになりました。
その中で、入り身術(この場合は身体内方向転換により、対手の死角へ真直 ぐに侵入する技法の意味です)による無の場の創造方法(伝統技法の「無窮 無辺」)は最高度に素晴らしいものだと思います。 これは大袈裟にいえば、宇宙と一体になる戦闘技法でもあります。 元来、入り身は那覇手では戦法上不要の為に無い技法ですが、開祖がこの技 法を取り込んで撃砕の型を造り、唐手界で初めて流派名称を名乗った経緯に は大きく納得させられる思いがしております。 非常に長期間の修行が必要となるため、即戦力としての軍事格闘技や護身術 には無い技法ですし、日々合戦に明け暮れた日本の(古古流:仮称)にも見 受けられません。
日々の護身として実戦の中から生まれた南派少林拳をベースとした那覇手も 非常に魅力的です。 ですが、習得までに例え265年間(江戸期に集大成されたという意味で)かか っても良いから最強無比の技を求めた(新古流:仮称)の技を、首里手を通 じて取り込んで成立した剛柔流に強い魅力と誇りを感じます。 実際に撃砕に含まれるこの技法を修練していると、サイファやスーパーリン ペー等の開手型が不要に思えてくる程です。 しかし一方で、世間のニーズや在り方を見渡してみますと、返って両者の必 要性を感じるようになりました。 剛柔流こそは、首里手と那覇手のみならず、(古古流:仮称)と(新古流: 仮称)、中国南派少林拳と日本武術、更には「剣道や柔道」と「居合道や合 気道」との間の架け橋に成り得る存在だと思います。
まあ、実際問題は両方に跨るためすべき稽古の種類と量が多すぎて、手が回 り切らないのが困りモノですが。 開祖は「基本型として三戦とナイファンチを稽古すべし」と言い残しており ますが、浅才な私としては、あまりと言えばあんまりな気もします。 しかし私としては、この宇宙との合一を果たした技法の習得が、武術の醍醐 味のように見受けられる次第です。 ちなみに、入り身術につきまして尚誠館では四段から稽古を開始しておりま す。
是非今度、道場巡りのお話をお聞かせ下さいませ。 ご来場を楽しみにお待ちしております。 |