投稿時間:2012/9/13(木)15:58
投稿者名:管理人
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タイトル: おめでとうございます

お久しぶりでございます。
過日はご丁寧なご連絡を有難うございました。
心底より厚く御礼申し上げます。

先ずは合気道初段にご昇段されましたこと、心よりお祝い申し上げます。
大変に喜ばしい慶事と存じますが、早突多蹴さんの地道なご精進の賜物では
ないでしょうか。
今後益々のご精進を期待申し上げますと共に、更なるご健勝をお祈り申し上
げます。

本来、剛柔流は接近戦が主眼ですが、全空連や協会系統の競技試合では首里
手のような遠距離からの踏み込みが重要となり、斯道の者には辛い一面があ
ります。
多くの剛柔流でも試合参加を鑑みて首里手式の稽古を行う道場も少なくあり
ませんが、この点も問題点といえるでしょう。
少なくとも、型三戦の戦法そのままでは、試合にもなりませんから
(余談ですが、実戦ではそのままで通用するシチュエーションが本当にある
のです)。

モチベーションが途切れられたとのことですが、試合を重視した稽古の中で
結果を出し難いことや、教導してくれるはずの存在が昇段審査を受けないと
なれば、私も継続は難しいかと考えます。
合気道や剣道などの日本武道が支えとなり、武道を継続されて来たのでしょ
うね。
ここへ来て、空手とのあり方を考え直す機運に会っておられるのかもしれま
せん。
二つの武道の経験が、空手にも必ず役にはずです。

空手修行は、型の習得や試合の成果に目的を見出す方々もおれれますが、真
の意味においてはその流儀の技を精緻に深く修めることが主眼であると考え
ます。
技を深く修めることによって、型も試合も、それどころか普段の基本稽古の
一つすらもが、丸で意味合いが違ってくるものであり、大いなる成果と喜び
を得ることが出来るようになるからです。

それらに通暁することが出来れば、合気道、剣術、弓道、柔術、空手道など
の全てが同一同根のものであることが理解できるようになり、全てに通じる
根幹の部分を手にすることが出来るからです。
生半なことではありませんが、一部の伝統空手にはその為の明確なプロセス
が存在し、道が示されているのです。
私も道は発見しましたが、誰も通らなくなって久しい草深い古道となってお
り、私自身が通るのが精一杯です。
今後は、後進に向けての道の整備が不可欠であり、その作業に勤しんでおり
ます。

空手との関係は、通っている道場の環境に大きく左右されるものです。
指導者の能力の他に、師や仲間たちとの関係、更には道場運営や稽古方針な
どによっても、受ける影響は様々に違ってくるものです。
特に剛柔流や那覇手系統の道場は、ある種の問題が付きまとうように思われ
ます。
本来、那覇手は接近戦での柔法と剛法を呑吐した技によって成り立っており
ます。
よって試合向けではない技で構成されているのであり、その為試合重視の道
場では、稽古内容に齟齬が生じている場合が多々あります。
単純な例としては、基本の突きは三戦立ちではなく、ナイファンチ立ちの方
が腰や膝を回し易く、よりムチミの稽古には適している等です(この場合の
ムチミは、那覇手でいうモチミ(ムチミ)とは異なります)。

中には流派名称に囚われずに、完全に試合向けに特化した稽古を行う道場す
らある程です。
私としては、試合で得られる成果は、武術の一部であると考えております。
この点を理解し、自流派の特徴に沿った稽古をしている道場であれば、誰で
あれ十分な稽古ができることでしょう。

格言に「三年かけても良師を探せ」とも云われますが、条件や都合によって
は、それが適わない場合も多々有ります。
通い勝手の良い範疇に、好都合な道場があるとは限らないからです。
その場合は、努力を継続して今の先達と師を乗り越える実力を身に付けるこ
とにより、新境地を開く以外にはありません。
出合った全ての師に入門し、全てを超越し続けるのであれば、何時の日にか
最高の好機に最高の師に巡り合うことでしょう。

ご参考になるかどうか、怪しい限りで申し訳ございません。
早突多蹴さんのご武運をお祈り申し上げております。
また何時でも稽古にいらして下さいね。
再会の日を楽しみに致しております。